イノシシ猟の解禁期間は、11月15日から3月15日までだそうだ。期間外にも、人家や畑を荒らすイノシシを駆除することがあるが、猟をする人たちにとってはやはり冬がそのシーズンである。
日高村には数十人の猟の免許を持った人がいる。そのほとんどは、罠猟の資格者であり、鉄砲の資格も持っている人は数える程。今日、イノシシ猟に連れて行ってくれる廣井さんは、その罠と鉄砲の両方の資格を持っている人の一人だ。シーズン中は、週に2、3度、罠をかけてある山を歩き、イノシシがかかっていないかを見て回る。
山を歩くときはだいたい仲間と3人、ときに私たちのような見学者を連れて行くこともある。車は2台だ。まず、山から下りてくる地点に車を1台止めておく。そしてもう1台の車にみんなで乗り込み、山の入り口(下り口とは別の場所)へ向かう。
車で行けるところまで行ったら、鉄砲を肩から下げ、山を歩き始める。道なんかない。けれどなんとなく道筋がついている。そして、地図なんてなくても、廣井さんはどこに罠を仕掛けたかわかっている。この山には、20個以上の罠を仕掛けてあるという
斜面を歩くのに必死で黙々とついて行くと、「ここはイノシシの通り道やきー。イノシシが体をこすったあとがついちょらーよ!」と一緒に歩いていた廣井さんの猟仲間の長老の伊藤さん(84才!)が指差した。その木の幹は、皮が剥がれてスベスベになっていた。
「イノシシはあそこから来て、ここを下りていきよらーよ」と、通り道を教えてもらっても、木々や土に残されたイノシシの痕跡は、なかなか素人には見えてこない。教えてもらって近づいて目を凝らして、ようやく折れた草や足跡が分かる。
「そこにワサがあるけ、踏みな(踏むな)よー」
ワサとは罠のこと。罠は、土に埋めた筒の中にバネとワイヤーが仕掛けられていて、イノシシが筒のフタを踏みぬくとバネがはね、ワイヤーの輪っかがその足を捕らえる仕組みで、廣井さんの手作りだ。とどめは鉄砲で撃つ。鉄砲を持たない場合、ナタなどでトドメをさすこともできるが、接近戦は危険だという。大きいイノシシは牙もあり、それで大怪我をする人もいるんだそうだ。
「もう半分来たねー」と言う声に顔を上げると、森の木々は針葉樹から、シイの木、カシの木、ナラの木などに変わり、空もぐっと近くなっている。シイの実はイノシシの好物だそうだが、今年は実りが悪く、カシの実がエサの主流だそうだ。エサがなくなればイノシシは別の山に移動する。この日は2月アタマ。罠を見回りながら、「もう今シーズンは終わりだな。全然気配がしない」と廣井さん。今シーズンは解禁日から12月末までの1か月半だけで、25頭獲れたという。20年くらい前はもっとたくさん獲れて、1日で6頭獲れたこともあったそうだ。
「イノシシ猟の季節には、仕事しててもワサにかかったか気になってそわそわする。かかったらすぐわかるようにトランシーバーをワサのところに置いておいたこともある。音がしたら、そらかかった! ってすぐ山に行きよるわけ」
山のてっぺんあたりには、先週降った雪がまだ残っていた。こちらは、必死で廣井さんについて山を歩いてきたので汗ばむほどに暑い。あせびが群生している岩場で、持ってきたお弁当を食べる。あせびもその近くに生えていた椿の木も、蕾がたくさんついていた。イノシシのシーズンは終わるが、山はこれから芽吹きの季節を迎える。
残りのワサをチェックしながら山を降りていくと、次第に雪がなくなり、また針葉樹になり、そして竹林になって、最後は文旦や小夏の黄色い水玉模様が広がる畑の脇へ出た。駐めておいた車で、今度は採石場の裏山へ向かう。そこに仕掛けたワサに、イノシシがかかっていると廣井さんに連絡があったからだ。
果たしてイノシシは、いた。正直、イノシシも仕留めるのを目撃するのが怖くて、近づけなかった。不意に廣井さんの鉄砲の「パーン」という大きな音が響きわたって、それは終わった。手早く血抜きをしてトラックに積み込む。 最近ではあまりやらないそうだが、イノシシが獲れたら左耳を切り取って枝に挟み、獲れた場所の近くにお供えし、山に感謝するという風習もあるそうだ。
イノシシはすぐに廣井さんの家の庭で捌かれた。まず、お湯をかけながら鎌で毛を取り除き、それから解体し、あっという間に獣は食肉になった。大きく切り分けた後に、小屋であばら骨を取ったり小さく切り分けたりする。手伝おうとして肉に触れたら生暖かく、一瞬手が止まった。
そのまま、炭火の焼肉をつまみながら、「小屋」でイノシシ鍋の準備が始まった。獲ってきた時はこうして、近所の仲間が集まってイノシシで飲み会になるという。 「小屋」というのは、いろんな道具をしまってあるのはもちろん、冷蔵庫や暖房完備の宴会部屋のことだ。これまでに獲った大物の写真が飾ってある。廣井さんが猟を始めてからもう40年になるそうだ。イノシシだけでなく、鳥やシカも獲った。
猟は冬の楽しみの一つであり、そしてこの山の集落の暮らしの一部である。だから、廣井さんは毎年11月に地元の子ども達のために、学校行事の収穫祭でイノシシ鍋を振舞っている。今シーズン何度か廣井さんといっしょに山に入った中3のカノちゃんは、その学校で食べたイノシシ鍋のおいしさに、イノシシ猟に興味を持ったんだという。鍋を食べにお父さんとやってきた彼女に、準備しながらちょっと聞いてみた。
「料理は?」「ぜんぜんしない」「最初に猟見た時、怖くなかった?」「ぜんぜん」「狩猟免許って、いくつで取れるの?」「罠は18、鉄砲はハタチ」「免許取るの?」「取りたいかな。来週高校受験だし、大学も行くつもりだし、まだ分からないけど」
鍋の用意もできたし、日が暮れて寒くなってきたしで、みんな小屋に入って、こたつを囲む。どんどん廣井さんの猟仲間が集まって、小屋の中は料理の湯気と人いきれでむんむんしてきた。 イノシシ肉は、クセがなく柔らかい。豚肉にも似ているけれど、豚肉よりあっさりしている(思っていたのと逆だ)。塩胡椒で炒めて食べると、歯ごたえのある皮と脂が際立っておいしい。イノシシ鍋は、すき焼きみたいに甘しょっぱく味つける。長老が畑から採ってきてくれた野菜と一緒に煮込んだが、中でもニンニクの葉がよく合う。
外に出ると、空気は冷たく凍り、月が煌々と山を照らしている。お腹いっぱいで、昼間の猟が別の日のことのような気がしたけれど、うっすら筋肉痛の気配がふとももやお尻に忍び寄ってきているのは今日の山歩きのせいだし、耳の奥には乾いた鉄砲の音の余韻がまだ残っていた。
廣井さんの「小屋」からは夜道に賑わいがこぼれている。山好きな日高の人たちはもちろん、市外からも廣井さんを慕って狩猟を学びに通ってくる人がいるんだとか。「弟子が来週も来るけー」と、話す廣井さんは誇らしげでうれしそうだった。
【体験&文=川瀬佐千子(編集者) 写真=宮川ヨシヒロ(フォトグラファー)】
日高村には数十人の猟の免許を持った人がいる。そのほとんどは、罠猟の資格者であり、鉄砲の資格も持っている人は数える程。今日、イノシシ猟に連れて行ってくれる廣井さんは、その罠と鉄砲の両方の資格を持っている人の一人だ。シーズン中は、週に2、3度、罠をかけてある山を歩き、イノシシがかかっていないかを見て回る。
山を歩くときはだいたい仲間と3人、ときに私たちのような見学者を連れて行くこともある。車は2台だ。まず、山から下りてくる地点に車を1台止めておく。そしてもう1台の車にみんなで乗り込み、山の入り口(下り口とは別の場所)へ向かう。
車で行けるところまで行ったら、鉄砲を肩から下げ、山を歩き始める。道なんかない。けれどなんとなく道筋がついている。そして、地図なんてなくても、廣井さんはどこに罠を仕掛けたかわかっている。この山には、20個以上の罠を仕掛けてあるという
斜面を歩くのに必死で黙々とついて行くと、「ここはイノシシの通り道やきー。イノシシが体をこすったあとがついちょらーよ!」と一緒に歩いていた廣井さんの猟仲間の長老の伊藤さん(84才!)が指差した。その木の幹は、皮が剥がれてスベスベになっていた。
「イノシシはあそこから来て、ここを下りていきよらーよ」と、通り道を教えてもらっても、木々や土に残されたイノシシの痕跡は、なかなか素人には見えてこない。教えてもらって近づいて目を凝らして、ようやく折れた草や足跡が分かる。
「そこにワサがあるけ、踏みな(踏むな)よー」
ワサとは罠のこと。罠は、土に埋めた筒の中にバネとワイヤーが仕掛けられていて、イノシシが筒のフタを踏みぬくとバネがはね、ワイヤーの輪っかがその足を捕らえる仕組みで、廣井さんの手作りだ。とどめは鉄砲で撃つ。鉄砲を持たない場合、ナタなどでトドメをさすこともできるが、接近戦は危険だという。大きいイノシシは牙もあり、それで大怪我をする人もいるんだそうだ。
「もう半分来たねー」と言う声に顔を上げると、森の木々は針葉樹から、シイの木、カシの木、ナラの木などに変わり、空もぐっと近くなっている。シイの実はイノシシの好物だそうだが、今年は実りが悪く、カシの実がエサの主流だそうだ。エサがなくなればイノシシは別の山に移動する。この日は2月アタマ。罠を見回りながら、「もう今シーズンは終わりだな。全然気配がしない」と廣井さん。今シーズンは解禁日から12月末までの1か月半だけで、25頭獲れたという。20年くらい前はもっとたくさん獲れて、1日で6頭獲れたこともあったそうだ。
「イノシシ猟の季節には、仕事しててもワサにかかったか気になってそわそわする。かかったらすぐわかるようにトランシーバーをワサのところに置いておいたこともある。音がしたら、そらかかった! ってすぐ山に行きよるわけ」
山のてっぺんあたりには、先週降った雪がまだ残っていた。こちらは、必死で廣井さんについて山を歩いてきたので汗ばむほどに暑い。あせびが群生している岩場で、持ってきたお弁当を食べる。あせびもその近くに生えていた椿の木も、蕾がたくさんついていた。イノシシのシーズンは終わるが、山はこれから芽吹きの季節を迎える。
残りのワサをチェックしながら山を降りていくと、次第に雪がなくなり、また針葉樹になり、そして竹林になって、最後は文旦や小夏の黄色い水玉模様が広がる畑の脇へ出た。駐めておいた車で、今度は採石場の裏山へ向かう。そこに仕掛けたワサに、イノシシがかかっていると廣井さんに連絡があったからだ。
果たしてイノシシは、いた。正直、イノシシも仕留めるのを目撃するのが怖くて、近づけなかった。不意に廣井さんの鉄砲の「パーン」という大きな音が響きわたって、それは終わった。手早く血抜きをしてトラックに積み込む。 最近ではあまりやらないそうだが、イノシシが獲れたら左耳を切り取って枝に挟み、獲れた場所の近くにお供えし、山に感謝するという風習もあるそうだ。
イノシシはすぐに廣井さんの家の庭で捌かれた。まず、お湯をかけながら鎌で毛を取り除き、それから解体し、あっという間に獣は食肉になった。大きく切り分けた後に、小屋であばら骨を取ったり小さく切り分けたりする。手伝おうとして肉に触れたら生暖かく、一瞬手が止まった。
そのまま、炭火の焼肉をつまみながら、「小屋」でイノシシ鍋の準備が始まった。獲ってきた時はこうして、近所の仲間が集まってイノシシで飲み会になるという。 「小屋」というのは、いろんな道具をしまってあるのはもちろん、冷蔵庫や暖房完備の宴会部屋のことだ。これまでに獲った大物の写真が飾ってある。廣井さんが猟を始めてからもう40年になるそうだ。イノシシだけでなく、鳥やシカも獲った。
猟は冬の楽しみの一つであり、そしてこの山の集落の暮らしの一部である。だから、廣井さんは毎年11月に地元の子ども達のために、学校行事の収穫祭でイノシシ鍋を振舞っている。今シーズン何度か廣井さんといっしょに山に入った中3のカノちゃんは、その学校で食べたイノシシ鍋のおいしさに、イノシシ猟に興味を持ったんだという。鍋を食べにお父さんとやってきた彼女に、準備しながらちょっと聞いてみた。
「料理は?」「ぜんぜんしない」「最初に猟見た時、怖くなかった?」「ぜんぜん」「狩猟免許って、いくつで取れるの?」「罠は18、鉄砲はハタチ」「免許取るの?」「取りたいかな。来週高校受験だし、大学も行くつもりだし、まだ分からないけど」
鍋の用意もできたし、日が暮れて寒くなってきたしで、みんな小屋に入って、こたつを囲む。どんどん廣井さんの猟仲間が集まって、小屋の中は料理の湯気と人いきれでむんむんしてきた。 イノシシ肉は、クセがなく柔らかい。豚肉にも似ているけれど、豚肉よりあっさりしている(思っていたのと逆だ)。塩胡椒で炒めて食べると、歯ごたえのある皮と脂が際立っておいしい。イノシシ鍋は、すき焼きみたいに甘しょっぱく味つける。長老が畑から採ってきてくれた野菜と一緒に煮込んだが、中でもニンニクの葉がよく合う。
外に出ると、空気は冷たく凍り、月が煌々と山を照らしている。お腹いっぱいで、昼間の猟が別の日のことのような気がしたけれど、うっすら筋肉痛の気配がふとももやお尻に忍び寄ってきているのは今日の山歩きのせいだし、耳の奥には乾いた鉄砲の音の余韻がまだ残っていた。
廣井さんの「小屋」からは夜道に賑わいがこぼれている。山好きな日高の人たちはもちろん、市外からも廣井さんを慕って狩猟を学びに通ってくる人がいるんだとか。「弟子が来週も来るけー」と、話す廣井さんは誇らしげでうれしそうだった。
【体験&文=川瀬佐千子(編集者) 写真=宮川ヨシヒロ(フォトグラファー)】